元日銀マン
長く金融機関を取材していると日銀出身者に良くお会いした。
皆、紳士でどこかスマートでありグローバルな視点をお持ちである。
地銀再建に来られた横山頭取のケース。夜回りで同じく元日銀マンの専務から「血尿が出たで帰れ。話聞きたければ頭取に聞いてくれ。と言われたので来ました」と言うと、にこやかに「悪いがもう一度専務の家に行って血尿が出たぐらいならまだやれる。頑張れと伝えてくれ」とかわされた。
気迫に押され、しばらく夜回りに行けなかった。
銀行の筆頭株主が変わった時も「どこで知りましたか」「有価証券報告書で知りました」と言うと「しかたありません。記事を止める理由がありませんのでどうぞお書きください」と。その潔さにほだされ事実だけを書き、裏の取れない憶測記事は一行も書けなかった。いや匂わすこともできなかった。
信用金庫の理事長になられた市原さんの場合。インフレターゲット(物価上昇率に一定の数値目標を掲げ市中の通貨量を調整し緩やかなインフレを誘導する)の話になった時、「そもそもデフレ下でインフレターゲットは成功した例はない」と言い切った。「国や経済評論家も含めなんでも簡単に信用してはいけませんよ」と忠告してくれた。
市原さんはしばらく理事長を務めた後、プロパーの職員にあっさりトップの座を譲られた。潔いのである。
背負った時の感触(軽さ)が忘れられないのが地域トップバンクの専務だった本屋さん。眼光が鋭く、目が合うと震え上がるというのは少し大げさだが、緊張の連続だった。
でも夜は違った。良く独りで飲みに行く日本酒専門店に本屋さんもお一人で来られていた。会う度にカウンターで座る距離が縮まった。
ある日、携帯に「おい今、何処で呑んどる」「華子です」「今から行くので待っとれ」。しばらくすると「迎えに来てくれ」と。
背負って華子に戻ると大将は黙って「上善如水」を出す。「藤田も飲め」と言われご相伴にあずかると、大将は黙って人差し指を口に。ガラスの徳利の中はただの水だった。酔っておられても話は面白かった。酒席では決して難しいことは話さない。「最近の景気はホールインワンだ」と言う。
理解できず「なぜですか」と尋ねると「パッとしないからだ」と。駄洒落も冴えていた。でももう話も聞けません。
雪の門叩けば酒の匂ひけり(正岡子規)
何ども門を叩いた店ももうありません。今はただごめい福を祈るばかりです。奥様が出された追悼本には横山さんも日銀の後輩として寄稿されています。
今宵は上善如水を呑みたいと思います。
監修者プロフィール
藤田 聡
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1960年岐阜市生まれ。元新聞記者。経済紙、通信社、地方紙の3媒体で記事を書く。専門は経済。 |