陽子線治療の最前線を走り続ける医師
がんの罹患率が増えている現代。
自分や身近な人ががんになったとき、
どのような選択肢があり、どう向き合えばいいのだろうか。
「身体にメスを入れない」「副作用が少ない」ことで知られる陽子線治療。
メディポリス国際陽子線治療センターでセンター長を務める荻野尚氏を訪ねて、
陽子線治療について話を伺った。
正常組織への影響を最小限に抑えた新しいがん治療
日本人の死因第1位であるがん。
高齢化と共にがん患者は増加の一途をたどっている。国立がん研究センターによると、生涯でがんに罹患する確率は男性62%、女性47%(国立がん研究センター 2014年データに基づく)。
約2人に1人はがんになる時代だ。がんの治療は、手術でがんを取り除く外科療法、抗がん剤を用いる化学療法、放射線を照射する放射線療法の3本柱がある。
この放射線治療の一種で、近年特に注目を浴びているのが粒子線治療(*1)だ。X線やガンマ線を使った従来の放射線治療とは全く違った性質のもので、基本的に副作用がほとんどなく通院で普段通りの生活を続けながら治療を受けられる。
粒子線治療には、重粒子線治療(*2)と陽子線治療(*3)の2種類があるが、これらの可能性に早くから注目し、長年陽子線治療に携わってきたのがメディポリス国際陽子線治療センターの荻野尚氏だ。
「陽子線治療では、水素原子の中心にある原子核を、シンクロトロン(*4)という装置の中で光の速さの60〜70%まで加速して患者さんの病巣に照射します。X線、ガンマ線などによる従来の放射線治療では、照射すると身体の表面近くでエネルギーが最大になり、がんに届くまでに力が弱まっていました。さらに、がん細胞に到達後もその先まで突き抜ける性質があるため、がん以外の正常組織にダメージを与えてしまい、患者さんの身体への負担が大きいものでした。
一方で、陽子線治療では、照射されると正常組織にほとんど影響することなくがん細胞に到達します。また、陽子線は止まる直前に最大のエネルギーを放出する性質があるので、がん細胞の位置で止まるようにあらかじめ装置を調整して陽子線を照射します。すると、がんをピンポイントで集中攻撃でき、
正常組織への影響を最小限に抑えることが可能になりました」
陽子線治療の歴史
陽子線医療は最先端医療というイメージが強いが、実はその歴史は古い。1946年にアメリカで原爆の研究をしていたウィルソンが陽子線を医療に使うことを初めて提案し、1954年にアメリカのローレンス・バークレー研究所で初めて治療に使われた。
ただし、当時は物理研究に使われていた大型の加速器を一時的に医療用に使い治療を行っている状態で、
医療用装置が初めて導入されたのが1990年アメリカのロマリンダ大学だった。
「私は1982年に医師になって放射線治療を専門としていたのですが、勉強していく中で粒子線治療、つまり陽子線治療と重粒子線治療があることを知りました。X線やガンマ線とは全然性質が違う放射線を使っているので、一体どういうものなのか知りたくて先行していたアメリカへ何度も通いました。
実際に治療に携わってみると、患者さんの治り方が今までの放射線治療と違いました。元気があるし、苦しまないので、治療後の患者さんの生活の質、いわゆるQOL(*5)がとてもいいんですね」
1998年、荻野氏が当時勤務していた国立がんセンター東病院に陽子線治療の医療専用装置が導入された。ロマリンダ大学に次ぐ世界で2番目の導入で、日本では初。
しかし、当初陽子線治療の知名度は低く、世間の反応は非常に薄いものだったという。
「その後、ほかの病院でも陽子線治療が導入されるに従って知られていくようになりました。2019年現在、日本国内には18の施設があります。陽子線治療が21世紀に入って普及し始めた最大の理由は医療用装置ができたことです。
物理研究用の加速器と違い装置が非常にコンパクトになったことに加えて、「回転ガントリー」という360度回転する装置ができました。あらゆる方向から病巣に照射できるようになり、非常に治療しやすくなりました」
さらに、CT、MRI、PET画像検査などの精度が上がったことも大きい。がんがどこにあるのか正確に特定できるようになったことで、陽子線治療の効果が発揮しやすくなった。医学全体の進歩とともに陽子線治療は治療環境が整っていった。
重粒子線と陽子線の違い
陽子線治療とほぼ同時期に、重粒子線治療も発展してきた。
陽子線も重粒子線も同じ粒子線治療という枠組みだが、加速させて照射する粒子の重さが違う。陽子線は水素の原子核の陽子、重粒子線は炭素イオンという陽子より12倍重い粒子を加速してがん病巣に打ち込む。
「物理的な性質として大きな差はありませんが、生物学的な差は若干あります。細胞実験レベルだと、細胞を殺す力が陽子線はX線の1.1倍、重粒子線は3倍。重粒子線の方が強いです。けれど、人の身体に照射したときにその差は全く出てこなくて治療の成績は全く同じです。どちらがいいということは実は言えないんですね」
そんな中、荻野氏が陽子線治療を選択した理由を聞いてみる。
「重粒子線の方が少ない照射回数で治療できるので治療期間は短いのですが、その分障害の発生確率が若干高くなる懸念があります。また、重粒子線治療は照射方法が限定的になってしまいますが、陽子線では回転ガントリーを使っているので360度任意方向からの照射が可能です。装置自体が回るので、患者さんはあおむけで寝たまま治療を受けられます」
陽子線治療が有効ながん・治療できないがん
陽子線治療が効果的なのは、前立腺がんや肝臓がん、肺がん、すい臓がんなど。メディポリス国際陽子線治療センターでは前立腺がんの実績が一番多く、1312例の実績がある。(2019年7月時点)
「前立腺がんは治療成績が外科手術よりもよく、再発率が低いです。さらに、前立腺がんは外科手術を行うと手術後、尿漏れや性機能が失われるリスクがありますが、陽子線治療だとそのようなことが起こる可能性が低いです。
あと我々が力を入れているのがすい臓がんの治療です。今までの抗がん剤だけの治療と比べて、生存期間の延長が倍以上という結果が出ています。乳がんはまだ臨床試験段階ですが、『切りたくない』という方が結構おられるので、そういう方たちに選択肢のひとつとしてご提示できるようになればと思っております。
陽子線治療はステージⅠ、Ⅱ(*6)の、ほかの部位に転移していない状態で受けていただくのが望ましいですが、転移していてもがんの進行を抑える目的や、QOLを向上できると判断できた場合には行うこともあります」
一方で、陽子線では治療できないがんもある。
「陽子線治療が有効なのは、原発がん(*7)か転移がん(*8)は問いませんが、一カ所にとどまっているがんとなります。
つまり、血液のがんは全身の血液にがん細胞が入っていますから陽子線では治療できません。また、予測できない動きをする胃から直腸までの消化器のがんも治療ができません。不規則な動きだけでなく、消化器の壁が薄いのも原因です。小腸などは、厚みが2ミリくらいと非常に薄いので、治療できるだけの陽子線を当ててしまうとおそらく壁がはじけてしまいます」
そして陽子線治療のデメリットをあえて挙げるとすると、治療が終わった後に効果が分かりづらい点だという。外科手術なら病巣を切り取り手術が終わった時点でその病巣はなくなっているが、陽子線治療だと結果が分かるのに半年から1年くらいかかる場合もある。
患者自ら情報収集することの重要性
治療実績や症例をインターネットで公開している病院は多く、個人でもがんの情報に触れやすくなった現代。さまざまな治療の選択肢がある一方、情報が氾濫しており迷うこともある。
荻野氏に、どのように治療法を選択していくべきか伺った。
「がんになってしまったら治療を急ぐべきときもありますが、それは極めて稀なケースで、ある程度しっかり検討して大丈夫だと私は考えています。患者さん自身が納得できるよう、いろんなところに話を聞きにいくのも大切です。
セカンドオピニオン(*9)を求めるのは患者さんの権利です。外科手術を勧められていても、陽子線などほかの治療法が気になるなら意見を求めた方がいいと思います。どの治療法が適しているかは患者さんの状況や希望、病状によりますので、実際受診いただいて、その場合なら外科手術の方がいいですよ、と言うこともあります」
陽子線治療に興味を持った場合、国内には18の施設があり、それぞれの病院の実績数やそこに勤めている医師の経験を見極めながら選んでいく必要がある。その上で、自分の通いやすい病院であることも大切だ。
「メディポリス国際陽子線治療センターは、世界初のリゾート地にある陽子線治療施設です。温泉、景勝地、おいしい食べ物がそろっている指宿で、滞在を楽しみながら前向きに治療できるのが強みです。とはいえ、基本的には自宅から近い病院を選ぶのが患者さんにとって負担が少ないかもしれません」
これだけがんが身近な病気になった今、私たちはどのように備えるべきか質問してみた。
「検診をしっかり受けて早期発見に努めることです。日本は検診率が非常に低いのが現状ですが、
できるだけ早期に見つけた方が治る確率が上がります。人間ドックでもかまわないです。
あと、保険適用されない先進医療だと当センターでは治療部位1カ所につき治療技術料が314万円。自己負担が大きくなるので、保険に入っておくことも大切です。保険に入っていると保険会社の方がアドバイスもしてくれます」
保険適用拡大に備えた運用体制強化
長らく先進医療だった陽子線治療だが、2016年に小児がん、2018年に前立腺がん、骨軟部腫瘍、
一部の頭頸部がんに対する公的医療保険制度の適用が始まった。今後も陽子線治療が保険適用になるがんの種類が増える可能性は高い。
「患者さんが増えることを想定して、私たちは今から備えています。今までは治療室は2室で十分間に合っていたのですが、3室運用体制を整えました。技師や職員の配置を事前に考えておき、
患者さんをお待たせせずに迎えられるようにしています。基本的に1回の受診は30分程度で、予約いただいた時間に対応しています。また、初診から原則2週間以内で治療開始できるようにしています」
がん治療は程度の差はあれど、肉体や精神への負担は避けられない。患者さんの立場になり「待たせない」ための仕組みや運用体制をしっかり整えている荻野氏。
陽子線治療についても、理解できるよう言葉を選びつつ、的確かつ丁寧に説明してくれた。確かな技術や知識だけでなく相手に寄り添った姿勢に、陽子線治療の最前線を走り続ける医師の神髄を見た。
理解が深まる医療用語解説
(*1)粒子線治療
従来のX線治療に使用される電子よりも質量の大きい原子核や原子核を構成する粒子にエネルギーを与えて放射線にして治療を行う。発生させることができる放射線のパワーが大きく、腫瘍に対してピンポイントに照射できるという特徴を持つ。
(*2)重粒子線治療
炭素イオンを用いた粒子線治療。質量の大きい炭素イオンを用いるため、腫瘍に大きなダメージを与えて治療できるという特徴を持つ。
(*3)陽子線治療
水素の原子核(陽子)を用いた粒子線治療。2019年現在、小児がん、限局性および局所進行性前立腺がん(転移を有するものを除く)、頭頸部悪性腫瘍(口腔・咽喉頭の扁平上皮がんを除く)、手術による根治的な治療が困難な骨軟部腫瘍の陽子線治療が保険適応となっている。
(*4)シンクロトロン
電子や陽子などを加速する環状の装置。元々は物理学実験で用いられてきた。
(*5)QOL
人生や生活の質を指す。治療法を選ぶ際に、治療中や治療後のQOLを保てるかどうかが近年重要視されている。
(*6)ステージⅠ、Ⅱ
ステージⅠは、がんの腫瘍が筋肉層の範囲にとどまっており、リンパ節に転移はしていない状態を指す。ステージⅡはリンパ節への若干の転移が見られる状態。
(*7)原発がん
再発、転移をする前の最初に発生した状態のがん。
(*8)転移がん
最初にがんが発生した場所から血液やリンパ液を通り、別の臓器や器官へ移動して増殖した状態のがん。
(*9)セカンドオピニオン
最初に受けた医師の診断の後に、別の医師にも求める意見のこと。セカンドオピニオン外来を設置している病院も近年増えている。基本的に公的医療保険が適用されない自費診療となり、病院によって費用が異なる。
プロフィール
メディポリス国際陽子線治療センター センター長
荻野 尚
放射線科医としてキャリアをスタートし、
1995年に国内初の医療専用の陽子線治療施設である国立がんセンター東病院の設立に従事し、
1998年に国立がんセンター東病院にて陽子線治療を開始させる。
2011年にメディポリス国際陽子線治療センター センター長代理に就任し、2017年3月より現職。
取材先
今回はこちらを訪れました!
一般社団法人 メディポリス医学研究所メディポリス国際陽子線治療センター
〒891-0304
鹿児島県指宿市東方4423
TEL:0120-804-881